伊豆急行は地方私鉄でありながら、開業時から他社線は勿論、国鉄線と比較しても豪華列車が数多く走る線区です。改めてその歴史を書くと「唯一」「日本初」のような言葉が並ぶ列車ばかりです。
現在最もグレードの高い列車は勿論サフィール踊り子だと思いますが、開業時から伊豆急行線を走った豪華列車を色々と書いていきたいと思います。
■ 昭和36年12月 私鉄唯一のグリーン車
昭和36年12月に開業した伊豆急行線ですが、開業時から私鉄唯一のグリーン車が走っていました。
当時伊豆急行線建設認可の条件として、国鉄伊東線の延長として同等の規格であること、国鉄と相互乗り入れをすることなどが条件に盛り込まれたそうです。そこで開業時は半室グリーンのサロハ180形が製造され、その後クロハ150、サロ180などのグリーン車、ロイヤルボックスのサロ1800、サロ2180などが製造されました。
国鉄(JR)から私鉄線への乗り入れ列車にグリーン車が連結されている例はありますが、自社でグリーン車を持っていたのは私鉄線の歴史の中でも伊豆急行と平成6年に開業した智頭急行だけです。
昭和時代に限定すればグリーン車を持つ唯一の私鉄線でした。
■ 昭和58年8月 サロンエクスプレス東京
昭和58年8月、国鉄は日本初の欧風客車列車「サロンエクスプレス東京」をデビューさせました。先日引退した「サロンカーなにわ」は一月遅れの9月です。
この車輛が「サロンエクスプレス踊り子」として東京~伊豆急下田を走ることになります。機関車に引っ張って貰う為前方の展望は望めませんが、最後尾の展望車、そして個室中心の全車グリーン車という点では現在のサフィール踊り子のルーツとも言えそうです。
写真はお座敷列車「ゆとり」に改造された後の姿ですが、ワインレッドのボディはサロンエクスプレス東京当時のままです。いち早くリゾート地に最新の豪華列車を充当する姿勢は国鉄もまた伊豆をリゾート地として重要視していた証かもしれません。
そしてそのサロンエクスプレス東京の牽引機には御召専用機であるEF58 61が充当されることが多くありました。一般向けには「カラーリングが合う」という理由でしたが、裏の理由に「伊豆急行社員にこの機関車に慣れて貰う」というものがあった様です。
下田には須崎御用邸があり、度々御召列車(当時は機関車牽引の1号編成客車)が伊豆急行線に乗り入れていました。「御召運行時の為に習熟して貰う」というのもまた伊豆急行線らしいエピソードです。現在の「なごみ」入線も同様の理由がある様です。
■ 昭和60年7月 リゾート21
そして昭和60年7月に伊豆急行のリゾート21が登場します。特別列車の様な見た目ですが、普通乗車券で乗車できるというところが当時話題となりました。第1編成、第2編成は100系の下回りを流用、上だけを新調して登場させましたが、すでに引退しています。
第3編成が現在のキンメ電車、第4編成が黒船電車、第5編成はTHE ROYAL EXPRESSに改造されてしまいました。
■ 平成2年4月 スーパービュー踊り子
半分俗説だとは思いますが、当時特急「踊り子」は急行と特急の中間的な185系電車、それに対し伊豆急が普通列車にリゾート21を持ってきたことから、JRが対抗する様に出してきたのがこの「スーパービュー踊り子」だと言われています。
現在も踊り子は普通の踊り子とサフィール踊り子の2種がありますが、このスーパービュー踊り子も上級な踊り子としてアテンダントが乗務していました。
■ 令和2年3月 サフィール踊り子
前述のスーパービュー踊り子の引退と共に登場したのが、このサフィール踊り子です。全車グリーン車かプレミアムグリーン車の編成は、普通車も連結されていたスーパービュー踊り子と比べて格が上がった印象です。
また4人用個室、6人用個室などは前述のサロンエクスプレス東京を彷彿させ、普通車メインの他線の特急列車とは一線を画すハイグレード仕様です。
他線にはこんな豪華編成が毎日2往復も走ることなどありませんから、サフィール踊り子の存在は現在もJRが伊豆を重要なリゾート地として考えている証とも言えそうです。
IZU PIXでは記事を書いた後に変化があれば記事を加筆訂正しています。最近新車の導入では少し元気のない伊豆急ですが、またこの下に新しい車両、出来れば伊豆急の車両を列記したいものです。